19年目

2014年01月17日

阪神・淡路大震災から今日で19年目。
それぞれにそれぞれのご記憶があろうと思います。
先ほども大切な友人から届きました。
それは心に染みる内容でした。
私の場合を綴ってみます。
ひとつ。
あの日、明日のセンター試験を受ける娘は、妻の腹の中におりました。
あの時、妻に覆いかぶさり、しばらく四つん這いでいたことを思い出しています。
……いざという時、今でも、家族のために、身を呈することができるか。
綴りながら、いろんな想定が駆けめぐり、手が止りました。
ふたつ。
教職員組合のご縁で、発災から1ケ月後に、神戸市の小学校へ行きました。
駅からその小学校への道中、よろけたことを思い出します。目に入る傾く家並みが原因でした。
倒壊した家の中に見つけた転けた雛人形たちの光景が、今も鮮明に瞼の奥に残っています。
その小学校では、2泊しました。
職員室の机のあいだに、その小学校のその日の担当の教職員が畳を一枚敷いてくれました。
夜は決められた時刻に、体育館の様子を観察に行きました。
仮設トイレが絶え間なく使われていました。
薄明かりの体育館から聞こえる小声も絶えることはありませんでした。
「明日は、あそこの鍋を持って帰らんと」こんな会話が、つい昨日のように耳に残っています。
……震災・被災の直後から、それぞれの家族の、それぞれの暮らしがまた、始まります。
このことを、目の当たりしたボランティア体験でした。
みっつ。
2~3年前、車のラジオで耳にした話。
自嘲「逃げおくれたボランティア」さんのトークが心に残っています。
「(2~3年前)今なお、生活再建ができずにいる方の担当になってしまった」と。
現に、兵庫県内の「借り上げ復興住宅」は、平成27年末「契約期限」となりますが、
「買い取り」を申し出た世帯は、住み続けることができる一方、
そうでない世帯には「退去」が迫っています。
……月日の経過とともに、被災者の暮らしも変化こそすれ、
そう簡単に、その労苦が解決していくものではないことを、今一度、自覚したいと思います。

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