東日本大震災から今日で丸3年。
本日、3月11日、
犠牲者が死者・行方不明者を合わせて約4000人と
最も多かった宮城県石巻市の追悼式で、
遺族代表として、彩加さんがスピーチをする。
震災時、
中学3年生だった彩加さんは、
その時、一緒だった母の理子さん(当時35歳)と
津波に巻き込まれ、流れ着いた先で、
理子さんはガレキに挟まれ、動けなくなった。
彩加ガレキさんが助け出そうとしたその時、
次の津波が襲ってきた。
「大好きだよ」
と、声をかけるのが精一杯だった。
残された家族は、
祖父だけとなった。
高校進学後、彩加さんは、
支援団体の活動に加わり、
被災体験を語るようになった。
「人生は短いんだから、いろんな人に会ってほしいな」
理子さんの生前の言葉が、彩加さんの背中を押した。
東京、パリ、ニューヨーク……
世界7都市で50回ほどスピーチをしてきた。
訪問先で、災害・テロで親を亡くした子どもと触れ合い、
深く共感し合えたという。
11日の今日は、
古里に眠る理子さんに、
心の中で、こう語りかけたいという。
「ママ、頑張って生きていくからね」
/読売新聞(3/11)の特集記事を圧縮してお届けしました/
東日本大震災で、
両親を失った「孤児」は、241人、
どちらかの親を失った「遺児」は、1498人に上る。
本日、3月11日、
「親の分まで」……
「孤児」や「遺児」の明日に向かって踏み出す力、
その根っこを思う。
☆写真は、児童70名の犠牲を出した大川小学校