生き直し

2016年08月03日

昨日、ここに投稿した「自殺と道徳教育」の続編です。

先日、セミナー【「いじめ・非行・暴力」~修復的対話からのアプローチ~】を
受講して考えたことを申し添えたくなったからです。

いじめの加害者、非行(触法行為)に走った少年・少女等との出逢いから、
彼ら・彼女らの「生き直し」に心を重ねてきた経験を思い起こしたからです。

彼ら・彼女らへのアプローチの道のりは、狭くて険しく、長いですが、
・罪が招いた現実に心を落とす……
・他人の痛みを感じる心を取り戻す……
一緒に歩みます。

彼ら・彼女らに、その境地に辿り着いてもらうには、
・自分は大切な存在であることを体感していく……
・自分が「いま・ここに在る」ことが守られているという安心感をもつ……
一緒に歩みます。

例えば、暴力をふるうある子は、
「バカにされた」で、暴力のスイッチが入る。
例えば、いじめをする子は、
「いじめられた」で、いじめのスイッチが入る。

その背景には……
彼ら・彼女らの価値観をつくった「生い立ち」と、
その間の力関係で形づくられた「関係性」とがあります。
彼ら・彼女らを責め立てても、解決の糸口にも着けません。

「修復的対話」が、そこに活きてきます。
モンダイに関係ある人たちが参加し、
「知り合う」「許し合う」「認め合う」という具合に進む。
そこで、互いの「損害と要望」「責任と義務」が次第に明らかになっていく。
そうして、加害・被害の関係を超えて、お互いの「尊厳の回復」に辿り着いていく。
このプロセスを指して「修復的対話」なのだというのです。

転んで、そして、立ち上がる。
転んだことに意味を見い出していく。
「人生、捨てたもんじゃない」と、それまでの自分を乗り越えていく。
〈自分を励ますチカラ〉を身につけていく。
このプロセスを指して、私の場合は「生き直し」と呼んできました。

20160804-133904.jpg