弁護士

2014年04月15日

ある方からご要望がありました。
その内容に応えることは、不見識の身に余ると判断し、
本日、その方と一緒に、弁護士を訪ねることになりました。
(事の内容は、当然ながら、控えます)
まず、弁護士の、その受け応えに、
法治国家に住んでいる安心感を、今さらながら感じました。
さて、持ちかけた相談事はというと、相手は分かってくれない!
という情実が強く働くものであり、
その折り合いは、相互の話し合いを続けていても、
到底おぼつかないという代物です。
(ですから、弁護士を訪ねたわけですが)
相談者の方は、事の発端から今日に至るまでの話を、
紙にも書いて準備し、
弁護士に、できるだけ的確に伝えようと努めました。
その間の弁護士さんの応対が、とても鮮やかでした。
その方の話を折るのでもなく、
ポイントとなる部分では、その都度、間髪を入れずに、
ご自身の理解が正確かどうかを確かめられました。
そのタイミングの絶妙さに、傍で聴いていて、
なんとも言えない心地良さを覚えました。
人の話は、最後まで黙って聴くことを旨としていましたが、
ただ単に、うなづくだけではなくて、
話す相手に対し、
「私は、あなたの話を、このように理解したが、間違いありませんね」と、
要所要所で確かめながら聴くことにより、
相手の安心感は、ずいぶん違うと思わせられました。
相談を持ちかけられた方の安心感も、相当だったようです。
弁護士という職業柄とはいえ、
図らずも〈話の聴き方〉を学んだ今日の弁護士訪問でした。
なお、その方、家計が苦しい状況にあることを、
前もってお伝えしておいたところ、
その弁護士、最初に、収入とかを書く一枚の紙を、スウッと渡し、
その方が書き終わったところに目をやりながら、
「この場の(料金の)心配は要りませんよ」と、
サラッと告げて、すぐに本題に入られました。
そのさりげなさの絶妙な点も、
身につけたいと思ったことでした。

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