ある方からご要望がありました。
その内容に応えることは、不見識の身に余ると判断し、
本日、その方と一緒に、弁護士を訪ねることになりました。
(事の内容は、当然ながら、控えます)
まず、弁護士の、その受け応えに、
法治国家に住んでいる安心感を、今さらながら感じました。
さて、持ちかけた相談事はというと、相手は分かってくれない!
という情実が強く働くものであり、
その折り合いは、相互の話し合いを続けていても、
到底おぼつかないという代物です。
(ですから、弁護士を訪ねたわけですが)
相談者の方は、事の発端から今日に至るまでの話を、
紙にも書いて準備し、
弁護士に、できるだけ的確に伝えようと努めました。
その間の弁護士さんの応対が、とても鮮やかでした。
その方の話を折るのでもなく、
ポイントとなる部分では、その都度、間髪を入れずに、
ご自身の理解が正確かどうかを確かめられました。
そのタイミングの絶妙さに、傍で聴いていて、
なんとも言えない心地良さを覚えました。
人の話は、最後まで黙って聴くことを旨としていましたが、
ただ単に、うなづくだけではなくて、
話す相手に対し、
「私は、あなたの話を、このように理解したが、間違いありませんね」と、
要所要所で確かめながら聴くことにより、
相手の安心感は、ずいぶん違うと思わせられました。
相談を持ちかけられた方の安心感も、相当だったようです。
弁護士という職業柄とはいえ、
図らずも〈話の聴き方〉を学んだ今日の弁護士訪問でした。
なお、その方、家計が苦しい状況にあることを、
前もってお伝えしておいたところ、
その弁護士、最初に、収入とかを書く一枚の紙を、スウッと渡し、
その方が書き終わったところに目をやりながら、
「この場の(料金の)心配は要りませんよ」と、
サラッと告げて、すぐに本題に入られました。
そのさりげなさの絶妙な点も、
身につけたいと思ったことでした。