「子どもを産みたい!」、この欲求は、「適齢期」にあって、
これまでの時代と比べ低くないという。
そして、このことは、まちがいないだろう、という前提で書く。
たとえば、「卵子凍結」がどれくらい増えているのか?
「神の業」への「人間の業」の「参入許可」はどうだったのか?
これまでの経過や現在の議論を詳しく知らないままに書く。
「いつかいい人に出逢う」、「いつでも産める」、と思いながら、
結婚や出産を先延ばしにしてきた「適齢期」の人たちの認識は、
ここんところの「子育て環境」の議論ほどには取り上げられない。
「地方創生」と「少子化対策」は、今の政治の最大の関心事だ。
しかし、政治は、個人や家庭の中に入れない(入るべきではない)。
そのことを重々解りつつ書く。
たとえば、日本には「婚外子」の冷遇(法の差別)がある。
「結婚制度」は「日本の伝統」と言っているうちに、人口は減り続けていく。
何を優先し、何を緩めるか。つまり、何を捨てるかということ。
この社会にどう合わせるかでなく、どんな社会で生きたいか。
このことは、子育てのテーマだけではない。政治家だけのテーマでもない。
さまざまな立場の方たちと、柔軟かつ冷静に、将来を見つめていきたい。