「若者」について

2016年01月03日

新年あけましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

地方紙「滋賀夕刊」新春号に、
県議会議員となってからこの5年間、
掲載いただいてきた年頭挨拶。
今年の題は「子ども・若者と一緒にがんばりましょう」。

その一部を紹介します。
「……昨年6月、改正公職選挙法が成立し、選挙年齢が
18歳以上へと引き下げられました。……18・19歳の
若者を子ども扱いするのでなく、同じ1票を行使する
対等な主権者として尊重し、敬意を払うべきであることを
今回の法改正は意味しています。……」

例年になく「見たで」、「読んだで」のお声をいただき、
「若者」について、もう一度立ち止まり、考えました。
一口に「若者」と言いますが、
その定義も、「若者」の使い方も、使う人の意図も、
その世代や立場によって、幅広く、まちまちであることを、
ここんところ、ずっと、ぼんやりと、思い続けてきました。

「若者」を思う時、日本の将来を絶望的に考えるのは、簡単です。
日本国の財政赤字は膨らむばかりで、そのまま「若者」にのしかかります。
少子高齢化による社会保障の増大は、そのまま「若者」の暮らしを圧迫します。
硬直化した雇用形態や労働市場は、今まさに「若者」から夢を奪っています。
などなどは、「世代間格差」を指摘したもので、たびたび耳にする言説です。

社会保障や雇用対策の充実は、現在の「若者」がかわいそうだから必要、
というのは、決してまちがいではありません。
しかし、現在の「若者」の実像を言い当てているか、
とういと、それはまた、別の話になります。

たとえば、肝心の「若者」の多くが、正社員に魅力を感じない実態もあります。
「決まった日に出勤しないといけないし、給料も安い」という訳です。
しかし、病気になった時、結婚や子育てを考えた時、親の介護が必要になった時、
社会保険に入っていたか、貯金があったかなどによって、
その後の人生の選択肢は、限定されてきます。
ですから、「若者」の問題は、現在の問題ではなく、未来の問題です。

「若者」と家族の問題も、未来の問題です。
今は「子ども」として、家族の恩恵を受けている「若者」も、
ゆくゆくは、親世代の介護問題に直面することになります。
さらに、その頃には、持ち家のメンテナンスも避けられなくなってきます。
やはり、「若者」の問題は、現在の問題ではなく、未来の問題です。

「若者」の未来をめぐる懸念は尽きません。
当の「若者」と、この1年も語り合っていきたいと思います。

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