3月23日付、朝日新聞「災後考~6年目の先に」を読む。
タイトル「災後考」は、「戦後」と「災後」を比較することで、
「災後」をあぶり出そうとしていた。
小見出し「敗戦級の衝撃 続かず」、「薄れる日本人の共通体験」に
この記事の編集者の意図が見て取れる。
記事には著名人の所感が列記されている。
以下、抜粋です。
政治学者:御厨 貴
「5年後の今、日本人は災後なる時代を生きているだろうか」
「戦後からの転換が足踏みしている……」
「巨大地震や原発事故はもう起きないという意識の急速な台頭……」
ジャーナリスト:田原総一朗
「勝てる見込みがないのに始めてしまったのが太平洋戦争だった。
文明を過信し、人間が自然に敗れた結果が原発事故だ」
「事故を引き起こしたエネルギー政策の無責任体制は温存され、
新しい時代は、まだ作れていない」
演出家:鴨下信一
「被害が全国的だった敗戦と比べて、震災はローカルな問題だと
とらえられ、直面せずにあいまいにされてしまった」
作家:佐藤 優
「3月16日の天皇陛下のビデオメッセージ、筆者はこれを
1945年8月15日の玉音放送に匹敵する大きな出来事と認識している」
それぞれを「なるほどそやな」、「それもそやな」と読んだ。
世間はもはや「先日の大震災から5年目は、記念日だった」の気分である。
上記の論者には、被災者(地)との関係性があっての
上記の論述となっているにちがいない。
さわさりながら、私はどうか?と、矢印を自分に当てて読み返してみた。
被災者と同時代を生きる私の生き様は、どうか?と。
「災後」の私の生き様は、どうか?と。
2011年、その年の5月、被災地から帰路につく時、
「うちでなくて、よかった」と思ったこと。ここに、告白する。
そして、自分の生き方は、まだ変わり切れてはいない。
*写真は、震災3年後に訪ねた富岡駅